ぼんちゃんの結婚式

2001年6月30日
今日はぼんちゃんの結婚式でした。
友引よ、友引。(って私には関係ないけど)
やっぱ結婚式はいいねぇ。どんな花嫁さんもとってもキュートに見えるよね(ってぼんちゃんはもちろんいつでもキュート♪)
私は来賓祝辞みたいなえらい大役をおおせつかったのに、遅刻した電車の中で文章かんがえるとゆー、
お気楽ぶり。
結局、おおまかなことだけ考えといて、マイクの前でぶっつけにしました。めずらしく緊張して、声が震えてたんじゃないかと思うんだけど、皆が「よく緊張しないね」ってゆってたから、バレなかったようだ。
にしても、やっぱ花嫁さんは可愛い!
先月妹の結婚式の時も思ったけど。
なんでかしらね。みんな、頭なでなでしたいくらいかわいく思えるのよね。
あとは、会社の女の子たちもみんなドレスアップしてて可愛かったなぁー。
って、女の子ばっかり見てる私……。
後輩の子が、カラオケ泣きながら感涙しちゃってて、かわいかった(笑)せっかく前日午前1時まで練習したのにねぇ。たえちゃん。
まあ、そんなわけで今日はおめでたい日でした。
7月は「兄さん・姉さん」と呼んでいるほどの学生時代のお友達の結婚式があるから、それも楽しみだなあ。
ピアノを弾け、とかいう指令が降っているようだけど、この爪(ネイルカラーしまくり)じゃ、弾けませんよおーだ(笑)。

体力温存

2001年6月29日
金曜日は仕事がいそがしく、土曜日は友達の結婚式。なのに、最近スペシャルに睡眠不足。(時差ぼけともいう)
なので、本日は仕事やすんじった!
だってー、あさ起きたら、貧血だったんだもーん。
(あらら、こら限界だわ)ってことで。
明日はがんばるのでゆるしてね、会社のみんな。
あ、そうそう各方面から帰ってきてるくせに連絡がないと言われてますが(笑)
ま、帰ってきてはいますんでー。

日付が前後して申し訳ない。
27日のえうろぱ3が先である。

さて、ここは実際は24日のことである。
この日は、ウィーンの市内を見学。
薫子はシェーンブルン宮殿で「お菓子をたべればいいじゃない」と高飛車な物言いを練習。
午後はオペラハウスに行ってしまった友人をうらやみつつ、もうちっと敷居の低いオペラを見に行く。
なんとその場で購入して、立ち見が30円くらい。
ちょっとゴシックな格好をしていた私は予定外のオペラでもあんまり浮かなかった。よかった。
ちなみに立ち見だったのだけど、前から2番目のバルコニーで、しかも前の着席だったファミリーが
私のことをどう思ったのか、一番前に座らせてくれた。
しかし、話はぜんぜんわからなかった。
オペラの後、王宮近くの男前兄ちゃんがいるレストランで食事をした。
飲み物は、私が海外にいくといつも飲む「トニックウォーター」これはノンアルコールです。
それから、ウィーンでは「アルムドゥドゥラー」というドリンクがおいしかった。ハーブ入りレモネードだそうです。これを頼むと、ウィーンの人はなぜかうれしそうです。それから、アルコールは「ゼクト」この辺の地域の人によく勧められる。シャンパンのちょっとあまいみたいなの。

そうそう、忘れてたけど、これの前の日はウィーン最古のレストランへ行ったのでした。
何百年も前からあるらしく、モーツアルト・ベートベン・シューベルトなどのサインを発見。
そして田村正和の文字も発見。
誰でもいいんですか!?


かえってきたよろし

2001年6月26日
日本に帰ってきました。
というわけで下に日記をアップしました。
今後も思い出したらちょちょこつけたしてゆく予定。
今朝は死ぬほど眠かったが、上司が怖いのでしぶしぶ出かけた。
午前中はまじで使い物にならなかったが、午後はなんとかなった。
はう。
また旅行行きたいなぁ。
一度旅をしてしまうと、やめられないよね。
しかし、まだ時差からは開放されておらず、
今ごろ日記書いてる始末。
ところで綾瀬ちゃん、登録ありがとうです。
朝から一人でおでかけした。
友達とは、お昼すぎにレストランで待ち合わせ。
朝食は、町でみかけたシーフードにした。セルフサービスなので、外へもっていって食べる。えらいうまかったが、飲み物の種類がわからず、コーラを飲む。
電車の中で大量のモーツアルトに出くわした。
今、ウィーンはモーツアルトというミュージカルをやっていて、そこらいじゅうにモーツアルトのコスプレをした人がいて、宣伝しているのです。
その彼らが出勤している様を見学。彼らは近くの店で朝食を食べて、(モーツアルトのまんま)
半モーツアルトくらいの格好(ヅラが半端だったり、サングラスしてたり)で、オペラ座の前をうろうろしていた。
午前中は、見たかったクリムトとエゴン・シーレの絵を見た。
途中、道に迷い(というか遠さに参り)人に道を聞こうとしたのだが、そこにいたのは機関銃をもったトルコ人しかいなかった。
トルコ人となら仲良くなれる自信があったのだが、
こんなところで仲良くなってもなぁ、と思ってやめておいた。その頃友達は、ホテルで10人くらいのトルコ人と仲良く朝食を食べていたそうだ。
トルコの人とは、なぜかとてもすぐ仲良くなれる。
それにとても親切。

さて、絵を見終わって、ゆっくり待ち合わせ場所へ。ちょっと時間が余ったのでお茶をした。
その前の日に「DEMEL」でアインシュペンナーというえらいウィーンちっくなコーヒーを飲んで、
すっごい後悔していたため、この日は「メランジェ」というコーヒーにしておいた。
カフェのおばさまに「ケーキ食べないの?」と聞かれたが、本当にここのへんの人は始終甘いもんを食べている。
待ち合わせ場所でボーっとしていると、日本人のおばちゃんに遭遇。
「すみません」てゆーから「はい。なんですか?」
ってゆってんのに「日本人ですか?」と聞かれる。
日本語しゃべっててこの見た目なのに、なぜ!?
んで道を尋ねられた。ちょうど知ってるとこだったんで、教えてあげたら「住んでるんですか」と聞かれた。
おばちゃん達が無事にたどりつけたかどうか、すごい不安になった(笑)

この後、レストランはいっぱいで(予約しようとしたけど、大丈夫っていわれたんじゃよー)しぶしぶ、通りすがりの人に聞いた、おいしいレストランとやらに行く。
ここで、ウエイターのおじじにまたえらい気に入られ、踊りに行こうといわれたが、もちろん断る。
そのかわり、またウィーンにきたらここへ来ると約束した。おじじは「わすれんなよー」と最後まで連呼していた。
私はこういう「わすれんなよー」的な人に海外でよく遭遇するのだが、社交辞令なのか本当にそうなのか、今いち日本人の感覚ではわかりづらい。
でも、また遊びにいきたいのはもちろんです。

この日はそのあと、もう空路へ。
パリ行きのエールフランスはやっぱり遅れていた。
エールフランスとは縁がないのだろうか?
まあ、おかげでチョコレートいっぱい買えたけどさ。空港のチョコやのジェントルマンが私のことを子供だと思ったらしく、チョコレートをくれた。
日本女性はよくあるのかな?こういうの?

そして、シャルルドゴールをダッシュで乗り継ぎ、成田へ。
時差ぼけと闘いながら、読書。
成田についたのは6時半をすぎていた。
自宅へ戻ったのは午後10時。
スーツケースの中身をからにして、
ひさびさに日本のお風呂に入った。
就寝は2時くらい。
薫子の最も長い一日だった。



この日は、午前中はえらい可愛い田舎町へつれてゆかれた。いろとりどりの小さな家に、10軒に一軒くらいは教会か!?てなくらいに、教会の塔が立ち並ぶ、前世紀の町。
かわいらしいレストランで食事をしました。
坂道が多くて、教会の鐘が一斉になりだして、
そうだなぁ。スペインのトレドに似てた。
聞いたら、ギリシャ人がたてた町らしいので、ギリシャに行ったことのある人はもっと的確なことを言えるかもしれない。
ここで貴腐ワインを密輸並に購入。
一緒にいた男性がタバコと毛皮を物物交換していた。それほど前世紀か?

道中、ドナウ河のほとりでアネモネが咲き乱れていた。この町は本当にアネモネがたくさん咲いていた。

この日はこのあと、車で国境を越えてオーストリアへ。オーストリアの印象は「寒いっ」でした。

えうろぱ2

2001年6月22日
この日は、ブタペスト市内にいた。
午前中いろいろ見学した後、午後は意味もなくリスト音楽大学の周囲をうろうろしたり、ドナウ河の近くでお茶したりした。
ハンガリー語は非常にむずかしかったので、
ほぼ英語で通してしまったが、やっぱり現地の言葉を多少覚えてかえってきたいよね。
夜は、ジプシーの人がやっているお店で。
イシュトバーンさん(仮名)達に囲まれて、困惑する薫子(25歳)
ていうか、「俺のイシュト!」って叫びたいのを我慢して、
ジプシーの皆さんと飲んで歌う楽しい夜でした。
就寝時間、同じく2時頃。

えうろぱ1

2001年6月21日
成田から12時間かけてパリの空港へ。
シャルルドゴールから乗り継いで、ブタペストヘ向かう。パリから2時間半かかる。
乗り継ぎの間、USドルで水と石鹸を購入。
水はビッテルでした。
この日は何をしたのかあんまり覚えてない。
飛行機からみたブタペストの夜景は、今までにみたなかで一番きれいだった。
夜は寒かった。

就寝時間現地時間で午前2時

そろそろ荷造り

2001年6月19日
20日から旅行にいくんで(って明日やん)
荷造りを始めました。
私、いっつも空港か現地調達なんだよねぇ。
で、メールなどを整理し(いないよ通知ともいう)
洗濯などをし(持っていく服がないため)
ぼちぼちです。(いつもは、まじで行くその日の夜にしたくをする人)
私は割と下着マニアですが(←?)
それでも旅行に行くときは下着が足りなくてこまってしまう。
アウターうつりや、色とか、楽チンさとか、そういうものを追求していると、持っていける下着って少ない!
前に現地調達したこともあったけどね(in ノルウェー)なんせ、胸小さいからね。
あー。旅は好きだけど、飛行機は憂鬱だわ。

んで、日曜日は何をしてたかとゆーと、美容院に行ってきたのでした。
先日食欲がない、という話をしたかと思いますが、
私は休みの日は、さらにご飯を食べません。仕事をしないから、体力をつけようとか思わないわけ。そんで食べない。
ってなことをしつづけていたらですねぇ。
やっぱ減ってましたよ。体重が。
学生の頃痩せてた時期と同じ位です。
そういえば、学生のころも、体力がいらなかったので、自堕落してて痩せたんでした。
自堕落してっと、自分の精神がイッっちゃうのがよくわかって、好きです。
こういう人、他におらんかなぁ?

おまけの日記

2001年6月16日
さっきの日記に書き忘れたこと。
今の私の最大の関心事は
前髪を伸ばすか切るか
パーマをかけるかかけないか、
です。
女ってどうして毎日こんなことばかり考えてんでしょね。
あと会社の人がESPで、アメ玉の味を見ないで当てるのでびっくりしました。うちの会社にいても役にたたないのでかわいそうな才能です。(爆)

CHIEKOおねえさま、祐見おねえさま、むぅむぅちゃ、登録ありがとうです。

実は最近食欲がない。
しかも、誰かがご馳走してくれるときにかぎって(またはおいしいものが食べれるとき)食べられない!
もったいなぁいっ!!
だいたい、半分も食べないうちに、もう食べられない。お腹がいっぱいなんじゃなくて、全体的にいっぱいいっぱいって感じなの。
だけど、ご馳走してもらったりしてる手前、残したくない→がんばる→つっつきまわす→お行儀悪い。
「食べられないならいいよ」
とあきらめ顔でいわれてしまうときの、「ごめんなさーい」感というのは結構なもんである。
で、
結果的にがんばってる間に胃も拡張されたらしく、
チョッキンは、一応お腹がすく。
自分で作るときは適量なので、おいしく食べられる。
でもご馳走してもらうときは……。
そんで気がついたんだけど、私、緊張すると食べられなくなってしまうらしい。
ご馳走してもらうのに緊張しちゃうなんて、なんてかわいい性格♪
ってこういうことを言っている間は、かわいい性格だというふうには思ってもらえないんだろうなぁ?

どうでしょう?薫子にご飯をごちそうしてくださる皆様??

風呂で寝る

2001年6月14日
私の日課は風呂で寝ることである。
湯船につかって寝ない日はない。といっていいほど寝る。ときどきおぼれる。
私がお風呂に入っている間、物音がしないときは見に来て、と家族には頼んである。
で、家族はいつも湯船で眠っている私を発見するのである。
などどいいながら、いまこの日記を書きながらも寝てしまった。ついでにゆーと、洋式のトイレでも寝る。
疲れてるのか、例の合法ドラッグ(?)が効いてるのかわからないけど、
そのうち、そのまま死んじゃいそうで怖い。
だいたい昨日は、眠っている間にお湯がさめて、起きたら湯船の中で湯冷めするところだった。
なんてマヌケない眠りなんでしょう(笑)
あ、そうそう電車で寝るときは、隣が男性だとすっごいよりかかって眠ってしまう。
それを迷惑と思うか役得と思うかはその人次第だと思うんですが、きっと迷惑…なんでしょーね。

追伸・
モナーさん、めそっち。さん登録ありがとねん。


合法ドラッグっていう単語はすごい。
ドラッグなのに合法なのだから。
そういえば、オランダはマリファナが合法らしい。
来週っからオーストリアなんぞにでかける私としては、合法ドラッグはぜひ押さえておきたい。

というのはさておき。
なぜこんなことを書くかというと、今日、めずらしく一日三回薬を飲んだのである。もちろんお医者さんがくれた薬である。具合が悪いときにしか飲まないのだが、今日は朝から調子が悪かったので、食後にぜんぶ飲んでみた。
そしたら、効くこと効くこと。
おかげで今は、痛みや緊張は和らいだ反面、すべての事象がすりガラスの向こうの出来事のようである。
これって立派な合法ドラッグなんではなかろーか。
合法ドラッグをお楽しみの方にぜひ、一度お伺いしたいもんである。
ちなみに私はアドレナリンが出やすい体質らしい。(笑)え?関係ないの?

三河屋の会

2001年6月11日
三河屋の会というのを友達が作ってくれた。
何をする会なのかというと、三河屋が集まる会なのである。三河屋さんといえば御用聞き。御用聞きといえば、「おくサーン、米屋です」(←酒屋じゃないじゃん!!)
皆で人妻を囲む会なのです。
で、まあ、私は囲まれる立場(笑)だったわけだけど。

昨日はその記念すべき1回目で、7人ほど集まってカラオケをして、食事をしてきました。
夜ご飯は新宿のセンタービルの53階にあるお店で、
夜景がきれいでした。
友達いわく「人妻を落とす店」だそう。
雰囲気も味もよいお店でしたが、人妻の気になることといったら、でてきた山菜を庭で育てることばかり(笑)お店を一生懸命選んでくれた友達に申し訳ないです。

で、この7人、一人を除いて全員女性。
唯一黒一点(緑一点か?)の男性も、男性として扱われることなく、無事に皆で帰途についたのでした。
帰ったら旦那さんは、生のトマトを丸かじりしていました。ちゃんちゃん。


えーと、気づいたらこれ、毎日昨日の日記をつけてたのね。まあ、よしとしましょう。
昨日は残業(泣)をいっぱいしました。
忙しいのはいいこと?なのかなぁ。
そんで、外出先でお客さんにステーキをご馳走になりました。そして夕飯も外食になってしまい、焼肉を食べました。じ、じつは肉があんまり食べられない私…ここ2年先くらいまではもう肉いらない…ってかんじ。
そんで、一晩たった今日もおなかがいっぱい。肉は消化するのに時間がかかるようだ。

ぜんぜん関係ないけど、会社の子がつきあった彼氏の名前を全部言えないという。
それほどいっぱいなんか!?っていう疑問はさておき、普通覚えてるでしょ、とゆっていたのだが……。
先日私も一人だけ思い出せない人がいることが判明。つきあってたわけじゃないのだが、映画みにいったり食事したりとかはしてた人なのだ。
で、こないだ携帯に知らない男から電話がかかってきて、さも友達のように私に話しかけてくる。
セールス?って思ったけど、それにしちゃ私のことに精通しているし、なんかを売り込もうっていう気もなさそう。
「誰なのよー!」
っていうと、「俺だよ○○だよ」と名前をいう。
しかし、わからん、どうしてもわからん。
そんで後日、一生懸命電話をかけてきそうな男の名前を考えていたら、一人だけ思い出せない人がいた。
会社の女の子も「ほらー、やっぱりわかんない人いるでしょー?」とまるで鬼の首をとったよう。
しかし、重ねていうが、私とその彼はつきあってはいなかったわけなので、
「それとは違うっての!」
と声を大にしてここに書きこむのである。

雨女。

2001年6月8日
入梅して、次の日の朝。すっかり晴れ渡る空を見て、今朝、布団まで干そうと思った私。しかし思いなおしてやめておいてよかった。外出先でどしゃぶりになり、靴もスーツもびしょびしょに。
最近外出すると必ず雨が降る。コンビニで買う傘ばかりが、ふえてゆく。
私はものすごい迷惑してるというのに、周囲は「また降ってるねー」となぜかうれしそう。雨が降っているのを私のせいにできるなんて、なんてうらやましい。私だって誰かのせいにしたい。
明日は晴れてくれるのだろうか。
明日も外出なんだけどね……私。明日も降ったら、やっぱり雨女としかいいようがない。
でも今つゆだから、ほぼいつも雨なんだよなぁ。
アジアの天候に八つ当たりしつつ。


そういえば、私はまだ誰にもこの日記の話をしていない。なのにカウンタはちっと、増えてっているわけ。ふぅむ、なるほど。これがインターネットというものなのねん。
と関心することしきり。
で、このカウンタは視聴率みたいなものだと思うわけなんだけど、視聴率といえば、由美かおる。
脱ぐ!
というわけで、私も脱いでみたんですけど……
気持ち、伝わってるかしら。
んでは

紀薫子貫之

2001年6月6日
きのう思ったんだけど、この日記は誰かに見られるということを前提にしてるわけじゃない?そういう日記っていうのはふだんつけないから、めったなことは書けないよね。
って思って気がついたんだけど、それって「土佐日記」よね。紀貫之よ。私のことは今日から紀薫子貫之と呼んでいただいて結構よ。
でまあ、そこまで書いてまた気づいたんだけど、
そうすっと、紀貫之って史上初の「ねかま」だったってことかしら?いや当時はネットなんかないんだけどさ。
大勢の人が見るって前提で「オネエ」で書いてた紀貫之ってなんだったのかしら。
誰かこの疑問にこたえてください。
んでは。

日記をかくのです

2001年6月5日
あのねぇ。そういえば、日記を毎日書きつづけたことなんかなかったんだよねー。でも今は毎日メールとかしてるから、続けられるのかもね。
ここは某サイトの人に教えてもらいました。
でも、みんなに教えてしまうと、いかに私が変な人なのかがばれてしまうので、あんまり教えられないなぁ。どんなもんでしょうね。
今日は目がいたいですので、このへんにしておきましょう。
んでは。

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